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展覧会

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第73回企画展 平戸橋の陶芸家たち -古志戸窯-

第73回企画展 平戸橋の陶芸家たち -古志戸窯-

昭和18年(1943)から昭和40年(1965)頃にかけて、豊田市平戸橋で、加藤唐九郎、河村喜太郎、岡部(加藤)嶺男、河村又次郎、杉浦芳樹らの陶芸家たちが作陶活動を行っていました。
「古志戸窯(こしどがま)」は加藤唐九郎が命名しました。由来は当地の地名「越戸」(こしど)から来ています。今回の企画展は、昭和27年(1952)2月に東京で開催された「第1回古志戸窯作陶展」に出品した5人の陶芸家と彼らを援助し自身も作陶した本多静雄(豊田市名誉市民 実業家 古陶磁研究家)の作品を展示紹介し彼らの業績をたどります。
また、現在平戸橋の地で活動をしている陶芸家河村喜平作品も展示紹介します。この機会に豊田市から生まれた歴史と芸術に触れて
みてはいかがでしょうか。


~ 古志戸窯の陶芸家たちの紹介 ~

加藤唐九郎(1898-1985)
明治31年瀬戸に生まれる。父祖代々陶工、若く瀬戸・美濃古窯の発掘研究に従事。桃山古陶の再現を志す。昭和18年疎開のため名古屋守山の翠松園から平戸橋に移る。古志戸窯と命名。24年翠松園に戻る。27年無形文化財(織部焼)に選定され、日本工芸会の創設に参加したが、35年の永仁の壺事
件以後、公職を辞任して作陶に専念。40年毎日芸術賞受賞。

岡部(加藤)嶺男(1919-1990)
大正8年瀬戸に生まれる。加藤唐九郎の長男。瀬戸窯業学校卒業。昭和15年東京物理学校中退、入営。22年復員し、父唐九郎が住む平戸橋で作陶再開。織部、志野など伝統技法をもとに作域を広げる。37年青瓷の研究が本格化する。
44年皇居新宮殿梅の間に「粉青瓷砧」一対を収める。日展入選。53年加藤から岡部姓に改姓。

河村喜太郎(1899-1966)
明治32年京都粟田の製陶家に生まれる。昭和25年猿投山山麓の陶土に魅力を感じ、京都五条坂から平戸橋に陶房(さなげ陶房)を移す。京都の繊細な色絵磁器造りから一変して、土くさい土器を感じさせる独特の作風を完成。36年鎌倉の北大路魯山人陶房跡に其中窯を築く。40年「やきものをつくる」を
出版。文展、日展等審査員。

河村又次郎(1930-2006)
昭和5年京都に生まれる。喜太郎の次男。25年父喜太郎とともに平戸橋に移る。28年京都市立美術大学入学、32年卒業。日展入選。41年父喜太郎の死去により鎌倉の其中窯を継ぐ。58年豊田芸術選奨授与される。

杉浦芳樹(1915-1982)
大正4年高浜市に生まれる。河村喜太郎に師事する。昭和25年河村喜太郎に従い京都から平戸橋に移る。昭和27年頃本多静雄の勧めで瀬戸に移転。北大路魯山人、大江文象にも師事。日展入選。瀬戸の陶芸家杉浦文泰は息子。

本多静雄(1898-1999)
明治31年豊田市花本に生まれる。逓信省技師、技術院第一部長を歴任。昭和18年郷里に戻る。19年加藤唐九郎と出会う。21年平戸橋に転居。古志戸窯で余技として作陶。豊田市名誉市民、実業家、古陶磁研究家。

開催期間
2009年03月10日(火)
〜2009年05月24日(日)
観 覧 料
無料
会  場
第2民芸館

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